震災当時、芦屋市の小学校一年生だった私の娘の担任の先生はお嬢さんを震災で亡くされました。
その先生からいただいた手紙を基にこの作品は生まれました。
先生からいただいた手紙には、先生の胸中がありのままに綴られていました。
震災後のあの大変な時期に、お嬢さんの死という深い悲しみを見つめ、ご自分の思いを文章にまとめるという苦しい作業をあえてなさったのは、先生がお嬢さんの事を誰かに語らずにはいられなかったからだと思うのです。
そして、お手紙をいただいたその時から、私の中では先生への長い長いお返事が紡がれていきました。
誰もが見舞われる可能性のある災いを、たまたま被った者の悲しみ、苦しみをただ同情だけでなく、あらん限りの想像力を持って共有してもらいたい。
「がんばってね」ではなく「がんばろうね」と言って欲しい。
そういう関係が生まれてこそ、傷ついた魂は癒されていくのだと、私は思ったのです。
そのためには、被災者である私たちが表現、発言していかなければならないのだと・・・・・・・・。
こうして震災から二年後の一月、朗読劇というかたちでこの「青い空に絵をかこう~震災の街で生まれた愛の手紙」は生まれました。
そして月日は流れ、震災の街は姿を変え、前へ前へと進んでいきました。
しかし、必ずしも街の復興のスピードと人の心のそれとは、同じではありませんでした。
歳月が流れ、その記憶が薄れようとしている今、あの時何が起こり、人は何をしてきたのかという事を、もう一度思い起こす時間が必要なのかもしれません。
この間にも、私たちは想像を絶する大きな災害に数多く見舞われ、多くの尊い命が瞬時に奪われていく事を何度も目の当たりにしてきました。
そして、命そのものをないがしろにするような悲しい、痛ましい事件が後を絶ちません。
この混沌とした先々の不透明な世の中に日々暮らしていく中で、自分の出来ることは何かと考えていくことが、あの震災で亡くなった、またその後多くの災害で亡くなっていった人々の分までを「生きる」ということに繋がるのではないでしょうか。
ご覧いただいた方々に、私どもの思いが少しでも届くことを願います。